9月2日 午前2時16分・・・・

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9月2日 午前2時16分
父、末吉があの世へ旅立ちました。

急な事で、覚悟も出来ぬ内に逝ってしまったので、家族皆、半分呆然、実感がないのが実情です。

夏風邪をこじらし、歳はとっていたので取り敢えず入院しましょう。って軽い気持ちで入院したのが偶然にも8月24日、父の84歳の誕生日でした。

それから気管支炎、肺炎とみるみる体調が悪化、帰らぬ人となってしまいました。まさか!の思いもあるのですが、仕方ないですね。

容態が急変危ないと、呼ばれたのが火曜日の夜。慌てて家族で病院に向かいました。うちら家族が訪れた時は脈も安定し、『ユウ、来たよ!』の声掛けにも、ウンウンとうなづき、分かっていたんですが、安心したのか、みるみる意識も低下、30分もしないうち、そのまま眠りにつくように、逝ってしまいました。
まるで私達、家族を待っていてくれたかのようでした。

ちょうど先日、息子ソーヤの就職内定が取れ、偶然にも親父の生まれ故郷に程近く、とても喜んでくれていたようです。
最後は、息子の口からも直接報告出来て、ウンウンと頷いてくれてたので、いい冥土の土産にしてくれたかな、と。
家族皆で看取る事もでき、また苦しそうではなく、穏やかな最後だったので良かったです。

『 お父さん 今までありがとう ごくろうさま 』

振り返ると、とても不思議な事が連発していました。
父の入院前後から、私が使う4つの腕時計が、リューズが飛び、ベルトが切れ、電池が切れ、と次々、3台壊れてしまいました。
どうしたんだろうね!
と、言っていました。

そして、父が亡くなる日の朝、かけていたメガネが、突然フレームが割れ、壊れてしまいました。
仕事帰りには、駅まで乗っている自転車のライトが昇天、真っ暗な運転で帰宅しました。
そして夜半に、父の容態が急変の知らせ。

きっと
『ゆう、早く会いに来いよ!』
と、父が呼んでいた様な気がします。



回想。
父、末吉。享年84歳。
東京下町、千住の生まれ。なんと12人兄弟、その中の下から2番目。大家族のチャキチャキ江戸っ子です。

実家は古く、日光街道沿いでお茶屋を営んでいたそうで、その後は、親父兄弟が植木職人を始め、岡村家は植木職人を親戚達が引き継いでいました。
全盛期は、父兄が女性体験リポーターに教えながら実家の庭木を手入れする。といった内容のTV番組にも出演し、「アッ、大ちゃん(父兄)出てる!、実家のあの木切ってるよ!」とTVを観ながら、家族で騒ぎ喜んだのを覚えてます。

父も定年退職後は、親方を継いでいた甥っこに付き、植木手入れをしてました。
葬儀に来てくれた当時を知る人には、「末ちゃん(父)スジがいいからさ、逆に親方に教えてるんだよねぇ。」なんて、知らなかった話も聞きました。

今は無くなってしまった実家ですが、私の記憶でも、とても広い旧家だったのを覚えています。庭には日本庭園のように植木が並び、池やお宮までありました。鬼瓦には岡村の字が彫り込まれた、立派な平屋で、旅館のような佇まい。
また、皐月などが商売のように、何百と育てられて、畑のように広がっていたのを覚えています。

古くは、相撲を愛し、庭内には、立派な土俵蔵もあったそう。戦前は名のある力士もそこで取り組みもしていたそうで、私の記憶でも、大広間には相撲取りの集合写真や、古い岡村家兄弟の廻し姿の写真が並んでいました。実家での葬儀の際には、舞の海関や相撲関係の人達が参列していたのを記憶しています。

父の仕事。
皮革の舐めし職人で、働いていました。有名処ではリーガルの革靴は、親父達が作った皮革から製品にされていました。
駅からも見える仕事場で、子供の頃、偶然電車で通った私たち家族に気が付き、「アッ、お父さんだ!」と電車と工場で手を降りあった記憶があります。
仕事仲間に聴いた話。
歌が好きな親父なのは知っていましたが、実はカラオケ部長だったそうです。
同方面に帰る人達を誘って集めては、唄いに通っていたそうな。
「ケイコちゃん(母)には、内緒って言われてたんだけどさ。」と、コッソリ教えてくれました。w
他にも、仕事で不甲斐ない作業や不満ごとがあると、誰より早く、工場長に食って掛かっていたそうで、蹴飛ばして帰ってしまったりなんて事もあったそうな。そんな父は、同僚に「シンちゃん、シンちゃん(当時人気の役者に似ていて)」と呼ばれて仲間からの信頼も厚かったそう。
やっぱりチャキチャキ江戸っ子気質、そんなキップのいい男気があったんですね。w
家では、姉含めて手のひとつも上げられた記憶のない親父でしたので、意外な一面を知りました。
母は、もっともその事は周知で、「工場長を蹴飛ばしてきた!」と明るいうちに帰って来てしまった父を、そんな事をしていては、いつ会社を首になるか?とビクビクしていたらしいです。

父の日常。
若い頃は、時代劇系の舞台役者をしていたみたいで、観に行った記憶はありませんが、チョンマゲ姿の舞台写真が残っています。
とにかく競馬が好きで、週末は「お馬ちゃんにエサをあげてくる」と出掛けてしまう親父でした。まだ私たちが赤ちゃんの頃、母に「ちょっとは面倒見てよ」と懇願しても、競馬に出掛けてしまう親父だったみたいで、母いわく「ホントにマイペース、自分に好きにしてきた人だよ」とのこと。
あとは、やっぱり皐月。実家、岡村家兄弟同様で、苗から育てているのを覚えています。全盛期は、庭の半分は埋めてしまう程、立派な皐月がひな壇に並べられ、花が咲き乱れていました。
親父と言うと「皐月」「競馬」が、とにかく印象が残ってます。

そんな親父も、晩年は、二度の癌を克服し、腎臓をやられて透析通い。母の懸命な食事で体調よく持っていましたが、思えば、近日は大好きな新聞、TVも見ることもなく、食べるか寝るかしか動いていませんでした。だいぶボケもかましていたので、弱ってきては、いたんですね。

あっさり逝ってしまいましたが、体調が落ちてきている母を想い、グズらず、親父らしい寡黙な気遣いな最後だったな、と。

「お父さん、今までありがとう!
天国から、見守っていてください。」



後日談
父が逝ってしまう日、確かに切れてしまった自転車の電灯。
なぜか、その後は何もなかったのごとく普通に点灯するんですよね・・・。
不思議としか言いようないです。

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by yupa_angle | 2015-09-02 02:16 | お気に入りな・・・ | Trackback | Comments(0)

狭山に引っ越しました。趣味ごとや日々感じるさまざまな徒然日記をつらつらと。


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